自性寺焼について

自性寺焼について

自性寺焼里秋窯は群馬県唯一の県指定伝統陶芸品です。
次第に郷土色の薄れ行く昨今、里秋窯の作品は自性寺焼復興者である事の誇りと自覚のもとに、全て安中市下秋間に産出する良質陶土を用いて、丹念に手作りしております。尚、焼き締め作品については、6昼夜から7昼夜の長時間に亘り、登り窯や穴窯にて、赤松の薪による炎の洗礼を受けた、天工と技の結晶です。重厚且つ、温もり溢れる自性寺焼里秋窯ならではの作品をご堪能ください。

自性寺焼由来 

焼物のふるさと安中市の秋間地域は、その昔「飽馬の里」(あくまのさと)と呼ばれ、中仙道安中宿の北方に位置し、碓氷峠へと連なる、なだらかな丘陵地であり、山あいを縫う清流、良質な粘土、豊かな赤松の樹林など、四季織り成す自然に恵まれた沃地として歴史を重ねて来ました。
 こうした環境は、陶器作りに最も適したものと言え、奈良時代から平安時代にかけて、八重巻窯、刈稲窯(かんねがま)雉子ヶ尾窯(きじがおがま)、二反田窯等が、盛んに煙を上げ、関東地方最大級の須恵器の産地として各地に出荷され続けて来ました。
上野国分寺や山王廃寺の瓦もこの地で焼かれ、1200年以上経った今日も、丘陵のいたる所から陶片が出土し、往時を偲ばせております。
 こうした伝統の上に、江戸時代中期(天明三年、(1783年)の浅間山の大噴火以前)より、安中市下秋間字自性寺の地を中心とした周辺に窯が築かれ、おびただしい焼物が生産され、自性寺焼の最盛期として開花しました。
この焼物の特徴は、主に生活用器であったが、芸術味豊かな作品迄、陶器としての温もりのある風合いをそなえ、焼き締め陶器から釉薬陶器まで焼かれ、今も尚、古民芸陶器として珍重されています。
時代の流れの中で、この自性寺焼は、日露戦争直後の明治38年、(1905年)に最後まで操業していた窯が益子町へ移り、惜しくも長い伝統の火が消えてしまいました。
 以来、忘れ去られようとしていた貴重な産業文化と、大地の恵みを掘り起こし、古窯跡を調査研究、無尽の陶片に、極めて良質陶土が埋蔵されて居る事を確信。 辺りの山野を探索し、無類の良質陶土を伝統の地内で発見し、昭和53年(1978年)、73年ぶりに再現復興する事が出来ました。
以降、一貫して地元産陶土に拘り続けて作陶に専念、登り窯や穴窯を築き、往時をしのぐ温もり溢れた焼物を生み出しております。

✮自性寺焼里秋窯当主、現代の名工、安中市重要無形文化財 青木昇     

 


自性寺焼へのこだわり

主原料である陶土は全て安中市秋間産出であり、その他の原料も極力地元群馬県産を使用して、真に郷土群馬の名産として誇れる陶芸品である。